小説とは何か?

小説……。それは人間力を高めるエッセンスがつまったもの。
だと自分は思っている。

今は便利なもので、デジタル化が進み電子書籍やケータイ小説などどこからでも小説を楽しめる。
まずはどんな文章でもいい。活字にふれることをはじめ、人間力を高めようではないか。

朝の通勤ラッシュは本当にキライです。それだけで一日のエネルギーのかなりの分を消費してしまいます。今はそんなに早い時間には乗らなくなったからまだいいんだけど、以前はほんとに毎朝が自分の中では戦争でした。息が出来ないくらいギュウギュウな時もあって、少しでも空いているところにって思うんだけど、そんなところはありません。
そんなある日、いつもよりさらに一本早い電車に乗らないといけない日があり、うんざりしていた時のことです。偶然にも高校時代の友人に会ったのです。彼女も私と同じように読書好きです。「毎日、この電車? うんざりだね、満員で」って私が言ったら、なんと彼女はあっさりこう言ったんです。「大丈夫。私は毎日、本を読みながら行ってるよ。空いてるところあるんだ」って。空いてるところ? どこに? そして、彼女について電車に乗ってビックリ。彼女が人をかき分けて向かったのは、電車の連結です。平然と扉を開けて連結部分に入って扉と閉めました。「えーっ、危なくないの?」それに何人かの人に見られているし恥ずかしい。でも、彼女はここなら満員電車でも空いているし、揺れはするけど?まってたら本を読めるって言ったんです。確かに。でも、私は一人ではとても乗る勇気はなくて、後にも先にも連結に乗ったのはその時だけです。
そしたら、なんと先日の仕事帰り、連結部分に女性が乗っているのを見かけたんです。ちょっと衝撃でした。けど、朝のラッシュのようには混んでなかったから、彼女がなぜそこにいたのかは不明です。でも私は、たった一度の連結体験がちょっと懐かしくなりました。

読書好きな人には、買う派の人と借りる派の人があると思います。買う派の人の悩みは、おそらくどんどん溜まっていく本のことでしょう。私もついつい買ってしまうので、溜まっていく一方です。気が付くと本棚から溢れている始末です。入りきらなくなると、棚のちょっとしたスペースに重ねて置いてしまっています。お気に入りはもちろん何度も読み返しますが、読み返さないけど、いつかまた読むかもしれないと思うものはとても沢山あります。でも、時々は本棚を整理して手放すことにしています。エコや環境問題なんかを考えるとリサイクルすることは大事なことだし、もう読まないものはジッと本棚に眠らせておくより次の誰かに読んでもらった方が本だって幸せなはず。
片づけ始めると、中にはタイトルを見ても中身をはっきり思い出せない物もあります。開いてみると、「あぁ、あぁ、そうだった」と思い出すんですけどね。でも、これね、気を付けないと1冊ずつ中を見てしまうと絶対に終わらないんですよね。表紙を開いたついでに真剣に読んじゃう時もありますから。だから、そこは片づけの法則と同じで直感で進めないとダメなんです。お気に入りは迷わず残すんだけど、いつか読むかもっていうレベルが難しい。どうしても決めきれないものはとりあえず残すことにします。あとはもう潔く行くしかないです。
そして段ボール箱に詰めた本たちは、古本屋さんに持って行きます。今までありがとね。新しい持ち主の人を楽しませてあげてね。バイバイ!

最近は正座をすることって普段はあんまりないです。こたつに入る時はどうしてるのかなって考えてみても、足を横にして座っていたり、俗にいうおばあちゃん座りをしていたりです。だって何が苦手かって足が痺れるんですもの。もうずいぶん前だけど、お正月の集まりでお座敷だったから、はりきって着物を着て行ったんです。しばらくお話を聞いて、いざ立ち上がろうとしたら、もう足の感覚が全くなくて立てないんです。やっと立てたと思ったらひっくり返ってしまいました。それも派手に。それからトラウマです。
でも正座すると良いことが沢山あるっていうコラムを読んだんです。確かに背筋がピンと伸びるっていうのはわかります。けど、そんなことより何でも脳への血流量が増えるらしくって、その結果、認知症の予防になったり、集中力が高まったりするそうです。そのうえ、下半身が柔らかくなるし、筋肉に関しては下半身だけじゃなく内臓を支える筋肉も鍛えられるらしいです。なんかスゴクないですか?それならやってみようかなとも思ったんですが、痺れるからなぁって一歩踏み出せないままでした。
そしたら、先日、ホームセンターであるものを見つけたんです。正座の形で座るんだけど、イスに座ってるっていう衝撃の物です。まさに私のためのアイテムじゃないですか!即決でレジに直行しました。座ってみると、これ、なかなかいいです。背筋も伸びて、なんだか清々しい気分。正座で本を読むってなんだか高尚な感じがしませんか?なので、これを機に正座での読書を取り入れました。あっ正しくは、例のイスに座って、ですけどね。

言っちゃいました。「私、作ろうか?」って。
知人のオフィスの入り口に案内を書いたボードかタペストリーがもう一つあったらいいのになっていう話になったのです。注文すると結構料金がかかるらしいのです。出来るだけお金をかけないで何かいい方法がないかなぁってみんなで考えました。それがなかなかないんです。そして、私の言葉です。即「わぁ、ありがとう」って言われてしまったもんだから、もう後には引けません。でもね、嫌いじゃないんですよ、何か作るのって。最近はあんまり作ってなかったけど、もう着なくなったGジャンからワンコのお散歩用のカバンにリメイクしたり、玄関の靴箱の上にハギレで目隠しのカーテンを作ったり。私は何か考えるのが好きなんです。ここをこうやって、次にこうして、そっちはこうして……なんて頭の中のイメージを形にしていくんです。これって物語を作るのとよく似てるんですよね。私は小説を読むのが好きだけど、自分で物語を書くのも好きなんです。頭の中にあるものを表現するのって楽しいんです。
そんなわけで先日そのままホームセンターとモールに行って、あれこれと材料は調達済みです。イメージはもうしっかり出来上がっているから、あとは私の腕にかかっています。よしっ!じゃあ、取り掛かりますか。

この前、久しぶりに妹と一緒にショッピングに行って、ランチをしたりお茶をしたりと一日を過ごしました。姉妹っておばあちゃんになってもずっとこんな感じなのかもって、そんな気がします。いくら喋っても会話に終わりはなくて、ひとつの話題から次の話題へ続いて、そこからまた別の話に繋がっていって、まぁ、たいしたものです。ここに母が入って来て3人でも話題は尽きないんですけどね。学生の頃なんか、休みの前の晩に3人で喋っていて、「あれ?もう明るくなってきたよ」なんていうこともあったけ。恐るべし。
ランチしながら初めは食べ物の好き嫌いの話をしていたんだけど、そこから苦手な生き物の話になって、「あれは怖いなあ」とか「あれは大嫌い」とかそんな他愛のない会話をしていました。そしたら急に妹が、「生き物じゃなくて物で怖い物ってある?」って聞いてきたんです。生きてなくて物で怖いって?意味がわかりません。何かのブツブツが気持ち悪いとか……?でも、そうじゃなくて恐怖の感情らしいのです。「あのね、シャワーヘッドの水が出るところってわかる?そこが震えるくらい怖いの」って、どんな告白?なんでも小さい穴の集団が怖いらしい。理解不能です。生まれてから今までに散々色んな話をしてきたのに初めて知りました。
それでランチの後にふたりで本屋さんに行ってみました。そしたら、あるんですね。私が知らなかっただけで、けっこうメジャーなお話みたい。心理学的には誰もが知っている高所恐怖症なんかと同じ部類らしいです。人間って不思議です。もしかしたら、私にもまだ私自信も知らない秘密があるかもしれません。

新しい本の匂いが好きです。紙と印刷の匂い。新しい本を開いた時のなんとも言えない瞬間です。嗅覚って人間の五感の中でもとても記憶に関わるものだと思うんです。実は、私の記憶の中では、新聞が特別な存在なんです。新聞って毎日出来立てが運ばれてくるからか、いつも本当にそれらしい匂いがしますよね。そして、私にとっては幼い頃の思い出と重なるんです。私の記憶の中では、父はトイレに行くときにいつも新聞を持って行っていました。母から止めてほしいと言われようがお構いなし。だから、父がトイレを使った後は「ん?これは!」ってすぐにわかりました。笑っちゃいますけど、今でも新聞の匂いで父のトイレに入る後ろ姿が目に浮かんできます。
それと私、ある花の香りが風に流れてくると、一気に中学時代に記憶が引き戻されるのです。恥ずかしながら、おそらくあれが私の真剣な初恋だったかな。その花の香りで、あるシーンが鮮明に、まるで映画のワンシーンのように浮かんでくるのです。若干キレイに仕立て上げられてしまってますけどね。けど、まるで現実かと思うくらいの感情を引き出すのです。普段はなんとも思っていないし、そんな事実さえ忘れてしまっているのに。ただ、自分の記憶なのになぜか第三者が見ているような客観的な感覚もあるんですよね。変な感じです。でも、毎年決まってその花の季節に呼び覚まされる記憶なんです。

小説仲間の友人といっしょに、とある野外イベントを見に行くことにしました。野外ということは天候がにわかに悪くなることもありえるので、とにかく可能な限り入念に準備しました。防寒具に合羽に、具合が悪くなった時用の薬に……。
さて当日。朝は晴れていたものの、昼頃になるとだんだん空模様があやしくなってきました。これはまずいかもねー、と友人と話していたのですが、予感的中、イベントの最中に雷雨となってしまいました。始まりは夕方で、1時間ほど経ってからのことでした。イベントは中止となり、頭上で雷光が閃く中を急いで撤収することになりました。
その日宿泊するためにとっておいたビジネスホテルに着いた時には、合羽を着ていてもびしょ濡れになってしまっていました。抱えていたバッグもぐっしょり濡れてしまって、自分の見通しの甘さを痛感しました。それにしても、冷え切った身体に温かいシャワーって、本当に気持ちが良いですね。
人心地ついてからテレビを点けると、ローカルニュースでイベントが中止になった旨が報道されていました。少し残念ではありましたが、仕方のないことですね。何とか無事に帰り着くことが出来ただけでもよしと思っています。次は最後まで楽しむことが出来ると良いな。

最高の調味料は空腹、という話がありますね。確かにおなかが空いているときは何でもおいしく感じられます。夜中まで小説を読んでいると、ふとした瞬間におなかがぐうぐうと鳴る時があります。しっかり夕食を食べていても、減る時は減りますね。小説を読む時は基本的には座ったまま、腰が疲れてくると寝転がって読んでいるので、ほとんどカロリーは消費していないにも関わらず、お腹が減って眠れなくなるときもあります。
若かりし頃は、ふつうに夜食を食べていました。カップめんとか、ポテトチップとか、菓子パンとか。新陳代謝が活発だったためか、いくら食べても太りませんでした。今は……まあ、考えるまでもないと言いますか、考えたくないと言いますか。
連載もののネット小説などを読んでいると、気づけば日付が変わっていることがあります。目にずっと光を取り入れ続けていたせいかちっとも眠くなく、何とはなしにネットサーフィンしていると、「飯テロ」と称しておいしそうな食べ物の写真がひたすらアップされているページを見つけてしまったりします。そして思い出したように鳴るおなか。
食べたい、でも今食べたら太る……!という何ともいえずアンビバレンツな時間。割と好きです。

先日のちょっとした遠出の際、家族が運転してくれるというので、後部座席でぼうっと車窓の景色を眺めていました。その日通った道は山道で、うねうねぐるぐるとしていました。Gがかかる度に身体が左右に揺れました。木の間から山の怪がのぞき見ていそうな薄暗い道を通ること、30分ほどもした頃でしょうか。ぽっかりと開いたトンネルが見えてきました。赤く錆びた案内板が傍らに立っていました。どこかで見たような光景であるような気がしました。
トンネルを抜けると、既視感はますます強くなりました。しばらくすると、道の駅のような場所が見えてきました。そこの駐車場に迷いなく車を停める家族。こんなところに寄る予定ではなかったはずなので、不思議に思いつつ、車を降りました。
道の駅のような売店では、そばやラーメンなどの軽食を販売していました。入り口のスロープのすぐそばに階段があり、どうやらそこから大きな公園のような場所に降りられるようでした。家族に引っ張られてその階段の上に立ったとたん、幼い頃の記憶がぶわっとよみがえってきました。
そこは、私が子供の頃によく父に連れてきてもらっていた運動公園でした。まさかあんな、ホラー小説か民俗小説にでも出てきそうなおどろおどろしい山道を抜けた先にあったとは思いませんでした(笑)。どうやら父から聞いて、ちょっとしたサプライズとして連れてきてくれたようです。驚いたものの、とてもうれしかったです。

フルカラーの挿絵を見ると、テンションがぐっと上がります。とあるSF小説のファンで、普段読む用の文庫版(付箋と書き込みいっぱい)と、たまに眺めてニヤニヤする用の豪華版(触る時は手袋必須)を所持しております。前者がモノクロ、後者がそのフルカラーです。そして、描いている人が違います。
そのSF小説は90年代にハリウッドで映画化されました。その際、後者の画家さんがデザイナーとして参加されておりました。この映画も大好きです。そしてこの人が描いた挿絵には、背景等で出てきた建物がまさにそのままの外観で登場していたりします。細部までまるで同じというわけではないのですが。
1つの小説作品として最初に触れて、馴染みがあるのはモノクロの方でした。けれど、映画の件も含めて映像的にインパクトがあったのは、やはりフルカラー。この豪華版以外にも色々と関連画を提供していらっしゃるようなので、全部まとめた画集が欲しいと思ってもう○年経ちます。今のところ、出る気配がないのが残念です。
少し前に、その挿絵の複製画を額装したものをたくさん展示した、小さな即売会のようなものが開かれました。小さいものなら手に入らないかと思って行ったのですが、甘かったです。でも、思っていた以上にたくさん人が来ていて、何だかとてもうれしくなりました。